SW 262 – AI Houseに学ぶ、AIネイティブ時代の勝ち筋
今回の「Seattle Watch」では、マイクロソフト共同創業者の故ポール・アレン氏が設立したAI研究所から生まれたAIハブである「AI House」を紹介します。AI時代に高まる「ドメイン知見」の価値と、「ソフトからハードへ」という重心移動は、ものづくりに強みを持つ日本企業にも大きな示唆を与えてくれます。
2026年上半期、米国のVC投資額は4,127億ドルに達し、その86%をAI企業が占めました。資金の87.5%は1件あたり1億ドル以上のメガラウンドに集中し、1億ドル未満の案件が占める割合は2024年の43.8%から12.5%へと縮小しています。PitchBookはこの変化を一時的な景気循環ではなく「構造的変化」と捉える一方、特定分野への過度な集中による調整リスクも指摘しています。
AI市場には資本が潤沢に流れ込み、スタートアップが乱立しています。AIの普及によって誰もが手軽にプロダクトを開発できるようになった今、企業にとっての真の競争優位とは何なのでしょうか。今回は、シアトルのAIハブである「AI House」の取り組みを手がかりに、その答えを探ります。 AI Houseの起源は、マイクロソフト共同創業者の故ポール・アレン氏が設立したAI研究機関、Allen Institute for AI(AI2)にあります。2014年、ChatGPTの登場より8年も前に、AI2の内部組織「AI2 Incubator」として発足しました。その役割は、AI2の研究者が生み出した技術を基に会社をつくり、製品として世に送り出すことです。代表例が2017年にAI2からスピンアウトしたXnor.aiです。高性能なプロセッサやクラウドに頼らず、防犯カメラなどの小型機器の上で画像認識AIを動かす技術を開発し、2020年にAppleに約2億ドル(報道ベース)で買収されました。AI2 Incubatorは2022年にAI2から独立し、2026年6月に名称を「AI House」へ改めています。
AI Houseのもう一つの特徴は、行政との連携です。シアトル市の狙いは、AI人材と起業家を一つの拠点に集め、シアトルを世界有数のAI拠点に押し上げることにあります。市内にはすでに400社を超えるAI企業と約200社のスタートアップがあり、その力を結集すると同時に、ダウンタウンに再び活気を取り戻すことも目指しています。2024年8月に当時のブルース・ハレル市長が構想を発表し、2025年3月にウォーターフロントの歴史的建造物Pier 70に拠点が開設されました。資金面では、市の経済開発局がイベントや育成プログラムの運営費として21万ドル、ワシントン州商務省が拠点の不動産費として40万ドルを拠出しています。市はこの場を、AIに関わる人々が集う「AIタウンホール」と位置づけています。
AI Houseは「Investment(投資)」「Incubation(育成)」「Community(コミュニティ)」の3つの機能を備えています。 1つ目のInvestment(投資)では、シリコンバレーの名門アクセラレーター、Y Combinator(YC)との対比が際立ちます。YCは年4回のバッチ(募集期)ごとに投資先を選び、2025年の4バッチだけで600社以上に投資しました。2005年の創設以来の累計投資先は5,668社を超え、標準条件は1社あたり50万ドルです。多くの創業者に少額ずつ投資し、その中から大成功する一握りを待つ構造といえます。取材によると、AI House側はこの手法を「Spray n' Pray(数撃てば当たる)」と表現し、自らの「Curated(選び抜く)」型のアプローチと対比させています。
その姿勢を裏付けるのが、2025年秋に組成された8,000万ドルの第3号ファンドです。4年間で約70社に投資する計画で、密に伴走するのは年15社程度に絞っています。1社あたり最大60万ドルを評価額上限1,000万ドルのSAFE(将来の株式取得を約束する簡易投資契約)で出資し、最大100万ドル分のクラウド利用クレジットも提供します。募集は通年で受け付け、取締役の派遣やシアトルへの移住は求めていません。
AI Houseのキュレーションを支える仕組みは大きく2つあります。1つ目は、有力なスタートアップのスクリー二ングと発掘です。過去のスタートアップデータをもとに創業チームの経歴などで初期スクリーニングを行う一方、それだけでは見落とされがちな「既存の物差しでは測れない突出した人材(アウトライヤー)」を公開ピッチイベントなどで発掘し、バランスを取っています。もう1つは、応募対象として技術系の創業者だけでなく「ドメインエキスパート」を明示的に歓迎している点です。募集要項では、ヘルスケア、金融、エネルギー、物流、法務、行政といった特定分野の専門家を具体的に挙げています。
2つ目のIncubation(育成)では、AI Houseはアイデアの段階から関わる「会社づくりのパートナー」を掲げています。資金を出して見守るだけでなく、AI設計からプロダクト開発、販売戦略、採用、資金調達まで、12か月にわたりハンズオンで伴走します。その中核を担うのが「EiR」と「FiR」です。EiR(Entrepreneur in Residence)は、経験豊富な起業家がAI Houseに在籍し、運営チームと事業テーマを探索・検証しながら新会社の立ち上げを目指す仕組みで、アイデアが固まる前から参加できます。出資やクラウド利用枠の条件は、前述の投資と共通です。一方のFiR(Founder in Residence)はEiRを支える側で、企業経験を積んだ人材がボランティアに近い形で創業者を支援するメンターです。いわば「Friend in Residence」ともいえる存在です。さらに、専門家コミュニティを築く「Resident Expert」も募っており、資本と運営チームに加えて、創業者を支える知見の層を厚くしています。
3つ目のCommunity(コミュニティ)では、Pier 70の拠点に開設初年度で2万人以上が集まり、これまでに150回を超えるイベントが開かれました。女性創業者、創業者のメンタルヘルス、消費者向け事業といったテーマ別のグループもあり、新たな人を迎え入れる玄関口となっています。ワシントン大学Paul G. Allen School(コンピューターサイエンス学部)の学生や研究者が最新のAI研究をデモで紹介する「Talk Nerdy to Me」や、著名な起業家や投資家に何でも質問できるAMA(Ask Me Anything)形式のイベントも開かれています。
では、AI Houseはどのような企業を選び抜こうとしているのでしょうか。手がかりは、AIネイティブなスタートアップの特徴にあります。ハーバード・ビジネス・スクールとINSEADの研究者がYCの2020〜2024年のバッチなどを分析したところ、AIネイティブなスタートアップは同程度の企業価値でありながら、従業員数が非AI企業より約25%少ないことがわかりました。組織の階層は約半段浅く、エンジニアの比率は13%高い一方、エントリーレベルの社員と管理職の比率は約15%低くなっています。
成長の速さも違います。AWSが20か国3,400人以上の創業者・経営幹部を対象に行った2026年の調査では、AIネイティブなスタートアップは平均3.5年で企業価値10億ドルに到達していました。生成AI登場以前の半分の期間で、しかも半分の人員で達成しています。年平均の売上成長率は156%とスタートアップ全体の65%を大きく上回り、55%以上の企業で従業員1人あたりの売上が40万ドルを超えています。
前述の研究は、こうした効率の源泉として、AIを製品の中核に組み込むことを挙げています。しかし、変化はそこにとどまりません。AIネイティブな企業は、仕事の進め方そのものもAI前提で組み直しています。象徴的なのがソフトウェア開発です。YCのマネージングパートナー、Jared Friedman氏によると、2025年冬バッチの4分の1の企業では、コードの95%をAIが書いていました。しかも彼らは、自力で製品を作れる高い技術力を持つ創業者だといいます。能力が足りないからAIに頼るのではなく、作り方そのものが変わったのです。
作るコストが下がれば、差がつくのは「何を作るべきか」を知っているかどうかです。AI Houseの投資方針の変化が、それをよく表しています。マネージングディレクターのJacob Colker氏によると、かつては開発者向けツールやインフラ系のスタートアップにも投資していましたが、その一部は成長が頭打ちになりました。そこで現在は、深い業界知見(ドメインナレッジ)に裏打ちされ、実世界の具体的な課題を解く「垂直型」のAI活用に重点を移しています。法務の現場の課題を突き詰めたLexion(AI2からのスピンアウト企業)が1億6,500万ドルで買収されたのは、その好例です。AIで誰でもソフトを作れる時代には、AIからは得られない現場の知見こそが競争優位の源泉になります。
ドメイン知見の価値がとりわけ高まっているのが、ハードウェアの領域です。Crunchbaseによると、世界のロボティクス関連スタートアップへのVC投資は2026年6月下旬時点で188億ドルに達し、わずか半年で2025年通年の150億ドルと、過去最高だった2021年の141億ドルを上回りました。投資家の見方も、ロボットを「資産が重く高コストなハードウェアへの賭け」とみなすものから、「身体を持ち、現実世界とリアルタイムで関わるAI」へと変わりつつあります。
AIインフラの大手も動いています。Turing Postによると、インフラ企業は半導体を売るだけでなく、研究組織の買収や技術者の派遣を通じて、将来必要になるハードウェアやソフトウェアの要件を現場から学ぼうとしています。半導体大手AMDが2026年9月に合意した、AI研究の第一人者Fei-Fei Li氏が率いるWorld Labsの買収や、AI向けGPUクラウドを提供するCoreWeaveによるフィジカルAI専任チームの立ち上げは、その表れです。NVIDIAも、学習・シミュレーション・実機での運用という三つの計算基盤をフィジカルAI向けに提供しています。
ソフトウェアはAIで誰でも作れるようになりつつある一方、物理世界で確実に動くシステムを作るには、現場での経験と、AIだけでは得にくい暗黙知が欠かせません。AI Houseの出資先には、この流れを体現する2社があります。どちらも、創業チームがハードウェアの現場で積んだ経験を起点にしています。1社目は、AI2からスピンアウトしたRobotoです。CEOのBenji Barash氏とCTOのYves Albers-Schoenberg氏はともにAmazon Roboticsの出身で、前職ではデバッグや性能評価のために、ロボットのセンサーデータを絞り込み加工するスクリプト作りに膨大な時間を費やしていました。その苦労を製品にしたのがRobotoです。「フィジカルAIのための分析エンジン」を掲げ、ドローンや医療ロボット、自動運転車などのログデータを取り込み、AIエージェントが故障の原因分析や、ロボット群全体にわたる異常パターンの検索、学習用データの整備を自動で行います。顧客にはドローンのBRINC、四足歩行ロボットのANYbotics、手術支援ロボットのMoon Surgicalなどが並び、2023年のシードラウンドではUnusual Venturesの主導で480万ドルを調達しました。
2社目は、宇宙空間で作業するAIロボットアームを開発するOrbital Roboticsです。2024年末にシアトル近郊で創業し、CEOのAaron Borger氏、COOのDoug Kohl氏ら創業メンバー4人は、いずれもジェフ・ベゾス氏の宇宙企業Blue Originの出身です。7自由度(関節の動きの自由度)の試作アーム「ORA-T1」を開発し、宇宙空間での目標追跡や軌道計画を担うAIソフトウェアにも取り組んでいます。Borger氏によると、宇宙ではアームを動かすと宇宙機そのものも動いてしまうため、予測可能な振る舞いをするAIが欠かせません。宇宙開発の現場を知らなければ、立てられない問いです。同社は非公表のパートナーと組み、2026〜27年に米宇宙軍向けの軌道上ランデブー実証に臨む予定です。
2社に共通するのは、AIの技術だけでなく、ハードウェアの現場で味わった具体的な苦労や物理的な制約から事業を生み出している点です。Amazon RoboticsやBlue Originで培った知見は、AIに尋ねても得られません。AIが仮想空間から物理世界へと広がるほど、こうしたドメイン知見は模倣されにくい参入障壁として価値を増していきます。
ここまでAI Houseの取り組みを見てきましたが、日本企業への示唆は3つあると考えます。第1に、エコシステムのつくり方です。AI Houseは、行政からの支援、アカデミアからの知見、ファンドによる資本、イベントを通じたコミュニティを一つの拠点に束ねています。第2に、AIネイティブ時代の競争優位はドメイン知見にあるということです。AIを製品に載せるだけでは差別化になりません。業務と組織をAI前提で組み替えて身軽になったうえで、長年の現場経験や顧客接点、独自のデータといった、AIでは代替できない資産をどう生かすかが問われます。日本企業がものづくりの現場で蓄積してきた暗黙知は、使い方次第で強力な武器になります。第3に、日本のハードウェアの強みです。AI HouseのFiR、Kevin Terrell氏は、日本はロボティクスで知られるだけでなく、防衛分野で新たな動きがある素材やエレクトロニクスでも強みを持ち、世界で初めてAESAレーダー(電波の向きを電子的に制御する高性能レーダー)を実用化した国として高く評価しています。AIの主戦場がソフトからハードへと移りつつある今、日本のものづくりの現場に蓄積された業界知見(ドメインナレッジ)とAIを掛け合わせる好機が訪れているのではないでしょうか。
Webrain Production Team



