SW 261 – 自然の中でものづくりが息づく街、ポートランド
今回のSeattle Watchから、学生インターンによる新連載を始めます。この連載では、米国の各都市を巡り、現地で見聞きした体験をもとに、街ごとの産業のリアルをお伝えします。初回の舞台は、シアトルの南に位置するオレゴン州ポートランドです。豊かな自然に囲まれたこの街に、なぜ世界で活躍する産業が根づいているのか。現地で働く人たちの声を手がかりに、私たちが参考にできるヒントを探りました。
ポートランドは、シアトルから南へ向かい、ワシントン州との州境をなすコロンビア川を越えてすぐの場所にある、オレゴン州最大の都市です。都市圏にはおよそ254万人(2025年推計)が暮らしています。同じ太平洋岸北西部に属し、シアトルとは気候も自然もよく似た、いわば隣町のような存在です。今回は、8月中旬に3日ほどポートランドに滞在しました。シアトルからはバスで片道3時間ほど。日帰りで訪れることもできる距離です。旅の一番の目的は、ポートランドで働く人たちに会って、その街のリアルについてお話を伺うことでした。
ポートランドは、世界にハードウェアを発信する環境として、日本が大いに参考にできる街だと感じました。川や森が身近にある風景は日本の多くの地域と重なり、産業の中心には半導体やスポーツ用品といった「ものづくり」があります。ソフトウェア系のスタートアップがひしめくサンフランシスコに比べ、豊かな自然と製造業が両立するポートランドは、日本と共通項が多いのです。
実際に都市を歩いてみてまず感じたのは、街全体に流れる時間がゆっくりだということです。都市の真ん中を大きな川が流れ、いくつもの橋が両岸を結んでいます。訪れたのが8月だったこともあり、川沿いでは、水面を渡ってくる風と木々の緑が心地よく感じられました。古い建物を活かしたカフェやショップが点在し、活気のある田舎町のような雰囲気です。ビジネスパーソン中心のシアトルの中心部とは、同じ北西部の都市でも人々の属性が異なるように感じられました。研究者やものづくりに携わる人たちが好んで住む街だと聞き、うなずけるものがありました。
この落ち着いた雰囲気は、偶然の産物ではありません。ポートランド市では、Historic Resources Programと呼ばれる歴史的な建物を保全し使い続けることを促す制度が整備されており、市民レベルでも古いものを手渡す循環が根づいています。例えば、非営利団体「ReBuilding Center」では、解体や改修で出た古い住宅の扉や木材などを集め、約2,800平米の店舗で手頃な価格で販売しています。私が感じた街全体に流れるゆっくりとした時間は、古いものを大切に使い継いできた歴史の蓄積によるものなのではないかと感じました。
一方で、ポートランドはただ穏やかな街ではありません。西郊のヒルズボロにはIntel最大の拠点が、その隣のビーバートンにはNikeの世界本社があり、のどかな街のすぐそばで世界市場を動かす産業が躍動しています。以下ではこの2社に焦点を当て、現地の取材や観察を交えながら、なぜこの街から世界的なハードウェアが生まれるのかを紐解きます。
滞在中、Intelの社員の方にお話を伺う機会がありました。同社の拠点は、ポートランド西郊のヒルズボロというエリアを中心に広がっています。半導体の材料と、この地方の豊かな森林をかけて、一帯は「シリコンフォレスト」と呼ばれています。半導体は、スマートフォンや自動車から、AIを動かすデータセンターまで、現代のあらゆる製品に欠かせない部品です。ところが、いま需要の高い最先端の半導体*を製造可能な地域は、世界でも極度に集中しています。
*最先端かどうかを測る基準の一つが、「ナノメートル(nm)」という単位。1ナノメートルは10億分の1メートル。回路を微細化するほど、性能が上がり、消費電力は下がる。現在の最先端は「2ナノメートル級」と呼ばれる世代で、その代表であるTSMCの「N2」は台湾の工場で量産されている。
最先端の半導体を生産する能力が台湾と韓国に集まっている現状には、自然災害や国際紛争によって供給が途絶えかねない「単一障害点」になり得るという懸念があります。そのため、米国では2022年のCHIPS法成立を機に国内回帰を急ぎ、アリゾナなどで先端工場の立ち上げを進めています。
仮に台湾有事などの半導体供給危機が起きた際、日本はどうなるのでしょうか。(日本国内でも、ラピダスが最先端ロジック半導体の量産化を北海道で目指していますが)、Intelの社員の方は「日本が頼れる候補先の一つがポートランドになるだろう」と話していました。ヒルズボロの「D1X」はIntelの最先端技術を開発する工場で、先端製造技術「Intel 18A」もここで開発・初期生産されたのち、アリゾナで量産が進められています。先端技術を生む拠点へのアクセスは、日本にとって重要な問いです。
では、なぜヒルズボロが先端開発を担い続けられるのでしょうか。それは、半導体はハードウェアであり、装置の微調整や歩留まり向上のノウハウなど、現場の技術者の「人の経験」がものを言う世界だからです。研究開発が街に根づき、技術者が長く暮らすことで、この土地に知見が蓄積されていきます。ポートランドの穏やかな住環境こそが、最先端技術を支える土台になっているのではないかと感じました。
滞在中、Nikeの本社も訪れました。ポートランドの西隣、ビーバートンというエリアにあるキャンパスを知人に案内してもらいました。広大な芝生の中に建物が点在する様子は、企業というよりもアメリカの大学キャンパスのようです。すれ違う社員の方々が思い思いにNikeのシューズやウェアを身につけていたのも印象的でした。いつでも身体を動かせるスタイルで働いており、敷地内には実際に運動できるスペースがいたるところに用意されていました。
建物の名称もユニークです。それぞれの棟には、マイケル・ジョーダンやセリーナ・ウィリアムズなど、同社とゆかりの深いアスリートの名前が冠されています。なかでも「LeBron James Innovation Center」内にあるスポーツ研究所「Nike Sport Research Lab」は興味深かったです。バスケットボールコートや陸上トラック、人工芝のピッチが備わり、あらゆる競技の動作を計測できるようになっているのです。つまり、アスリートの動きを精密にデータ化し、プロダクトデザインへと還元できる仕組みが用意されており、キャンパスそのものが巨大な実験場として機能しているようでした。
Nikeが大切にしているのは製品の機能性にとどまりません。同社は「世界中のすべてのアスリートにインスピレーションとイノベーションをもたらす」ことをミッションに掲げ、そこに共同創業者ビル・バウワーマンの「身体があれば、誰もがアスリートだ」という言葉を添えています。トップ選手だけでなく、走り始めたばかりの人も含め、身体を動かすすべての人を支えるという信念が、Nikeには根付いているようです。
同社はもともとオレゴン州で生まれた企業です。オレゴン大学の陸上コーチだったバウワーマンと、その教え子のランナーだったフィル・ナイトが、1964年に前身となる会社を創業しました。オレゴン州のランナーたちから生まれたブランドが、いまも自然に囲まれたキャンパスでその信念を受け継ぎ、ものづくりに向き合っています。ポートランド周辺の環境は、単にプロダクトを生み出す場であるだけでなく、その根底にある哲学をも育む土壌になっているのだと感じました。
今回現地でお話を伺った方々は、皆さん本当に素敵な方々でした。特に印象に残ったのは、「ポートランドとは、サンフランシスコとシアトルの間にある街だ」という言葉です。これは、テック産業の拠点に挟まれながらも、そのどちらとも異なる色を保ち続けているという意味でした。 街の歴史を紐解くと、その理由が見えてきます。オレゴン・トレイルを越えて移り住んだ開拓者たちを惹きつけたのは、家族単位で広大な土地を得られる制度でした。さらにポートランドが大きく発展する契機となったのは、カリフォルニアのゴールドラッシュです。ただし、自ら金を掘り当てたからではありません。採掘に沸くサンフランシスコへ向け、オレゴン産の小麦や木材を船で供給したからでした。
現在、日本からポートランドへの直行便はなく、シアトルなどを経由して向かうことになります。もしシアトルを訪れる機会があれば、ぜひ足を延ばしてポートランドにも立ち寄ってみてください。ソフトウェア産業がひしめくシアトルと、自然の中でハードウェアを生み出すポートランド。この2つの街を比べることで、それぞれの街をよりよく理解できると思います。そして、ポートランドでの時間は、自然豊かな地方を多く抱える日本が、今後どんなものづくりを目指すべきかを考えるヒントを与えてくれるはずです。
Webrain Production Team



